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中石智也

中石 智也(なかいし ともや、1977年9月21日 - )は、広島県大竹市出身のプロ野球選手投手)。右投右打。福岡キーエンスホークス所属。

中石 智也(なかいし ともや、1977年9月21日 - )は、広島県大竹市出身のプロ野球選手投手)。右投右打。福岡キーエンスホークス所属。

経歴

経歴

プロ入り前

西鉄時代

2000年、一年目から先発ローテに定着。開幕直後から好調をキープしハーラーダービートップの6勝を挙げ、防御率もリーグ4位の2.84の好成績で前半戦を終える。しかし、後半戦は安定感を欠き、8月20日京都ブレーブス戦では2回途中9失点でKOされるなど打ち込まれる試合も目立った。それでも最終的にチーム内トップタイの9勝を挙げ、新人王こそ澤田和弘に譲ったものの即戦力ルーキーとしての働きを見せた。また、打撃でも存在感を示し、7月4日朝日ガーディアンズ戦では高橋晃広から本塁打を放っている。

2001年はエースの川上裕二の故障もあり、自身初の開幕投手に抜擢されると2安打完封の快投でチームを開幕勝利に導く。この時に記録した15奪三振は2023年現在でも開幕戦における日本記録となっている。6月18日の阪神ジャガーズ戦では9回1死まで無安打無四球のピッチングを披露し、直後に和田健太に中前打を許したことで完全試合は達成できなかったものの、キャリアで唯一の無四球完投(完封)を記録した。
当シーズンは昨年以上に好不調の波が激しく、シーズン防御率こそ4点台に終わったものの、阪急の野口克洋監督には「将来間違いなくメジャーで通用する」と評されるほどのポテンシャルを随所で発揮した一年となった。持ち前のタフネスさもあってリーグトップの198イニングを投げ、リーグ3位の12勝をマーク。

2002年は、高山真悟監督から「不動のエースになってほしい」「目標は20勝」と多大な期待をかけられて迎えたシーズンだったが、4月10日中京ドラゴンズ戦で山崎剛志のピッチャーライナーを左足に受け、開幕早々に戦線離脱となる。復帰後も、打撲の影響からフォームのバランスを崩してしまったことで本来の調子を取り戻すことができず、一軍と二軍を行き来する日が続いた。結局、当シーズンはわずか1勝に終わり、防御率も6.93と不本意な一年となった。

2003年も開幕から調子が上がらず結果を残せない登板が続いたため、今季から新たに就任した中尾卓監督の提案により、シーズン途中でリリーフへ転向。転向直後は、慣れないリリーフ調整により失点を重ねていたものの、徐々に適応し7月以降は防御率1.93と安定感のある投球を披露した。リリーフ転向について本人は「本音を言うと最初は複雑な気持ちでしたが、今では先発でもリリーフでも役割を与えられることは光栄なことだと思います」と語っている。

2004年は、前年に続きセットアッパーを務める。開幕から25試合連続無失点と上々のスタートを切ると、その抜群の安定感を買われシーズン途中から抑えへと抜擢される。これには、当時抑えを務めていたダニエル・ハドソンが不調を極めていたことも背景にあるが、抑え転向後も変わらぬ快投を披露し続け、最終的に74 2/3イニングを投げて僅か5失点(自責4)、防御率0.49という驚異的な数字を残す。さらに、前年よりラビットボールが導入されリーグ全体の本塁打が激増している中で、今季中石が許した本塁打は0であった。
この活躍が認められ、中尾監督から「間違いなくうちのMVP」と最大の賛辞を送られたほか、契約更改でも前年の2300万円から大幅増の1億円を提示され、更改した。

2005年は前年とうってかわって精彩を欠いた投球が目立ち、4月25~27日の朝日戦では3試合連続で救援失敗を喫する。中尾監督に「メジャー級の力を持っているのに、アマチュアみたいな球を投げるんだあいつは。何を考えているのか、何も考えていないのか!」と苦言を呈され、抑えの座を剥奪されると共に、試合後に無期限の二軍降格を言い渡された。
6月1日に一軍復帰を果たすと、セットアッパーとして安定感のある投球を取り戻し、最終的に19ホールドを記録し防御率も2点台に収めた。しかし、シーズン序盤に不動の守護神を欠いたチームは低迷し、その責任を問われシーズンオフに500万円減の年俸9500万円を提示され、更改。

2006年は、前年の反省を踏まえ、臨時のメンタルコーチを雇い自身の課題である精神面の脆さの克服を図った。シーズン序盤こそ制球に苦しむ場面が目立ったものの、要所を占める投球で徐々に首脳陣の信頼を取り戻すと、5月に入ってから再び抑えの座を任されることとなる。中尾監督に「やっぱり抑えはお前しかいないんだ」と激励されたことで奮起し、抑え転向後はわずか1失点と抜群の安定感で着実にセーブを稼ぐと、最終的に39セーブで自身初となる最多セーブ賞を受賞。また、両リーグ通じてトップの70登板で1度も黒星はつかなかった。阪急ジャガーズとの日本シリーズでも3試合に登板し3セーブ・無失点の好投でシリーズ優秀選手に選ばれた。

2007年は新たに就任した山本浩介監督の意向により、先発再転向となる。5月までに5勝を挙げるなど先発投手として順調に結果を残していたが、今季より新守護神として抜擢されたウィルソン・カブレラがコーチとの対立により、シーズン途中で無断帰国するという異例のトラブルにより、急遽抑えへの「再々転向」を余儀なくされた。十分な調整期間を設けられないまま任された抑えのマウンドでは精彩を欠き、ほどなくして谷崎翔太が新たな抑え候補として台頭したことで、セットアッパーへ回った。しかし、シーズン終盤に高橋友哉石川将貴らが相次いで戦線離脱したことで先発ローテーションが不足してしまい、9月から先発へ「再々々転向」となる。それでも6勝(4敗)・10セーブ・16ホールド、防御率2.21の好成績をおさめチームに貢献した。
このシーズンについて山本監督は「先発もリリーフも安心して任せられるのが中石だけだったから、振り回してしまう形になってしまった。本人には何度も謝った。」と述べているが、本人は「投げられさえすれば先発でもリリーフでも拘りはないので、むしろ楽しかったです。」と語っている。

2008年は、9月2日の阪神戦での先発登板を除いて、リリーフに専念した一年間となった。前年より頭角を表した谷崎が抑えに定着していたため、主にセットアッパーとして登板する機会が多かったが、谷崎が不調に陥った時期に抑えに復帰し、9セーブを挙げている。セットアッパーとしてはリーグ2位の30ホールドを記録し、防御率も1.28の好成績を残した。
オフシーズンに海外FA権を取得し、行使した。一部のメディアからは「チームでの雑な扱いに嫌気がさしての移籍ではないか」との噂が一部メディアで取り沙汰されたものの、実際には「3年前のオフから球団幹部と相談しており、円満移籍である」と本人が否定している。

ヤンキース時代

カージナルス時代

レンジャーズ時代

キーエンス時代

選手としての特徴

選手としての特徴

小さなテイクバックから最速158km/hの2種類の速球にカーブやフォークを交えて三振を奪うピッチングスタイルを持ち味とする。速球はツーシームやカットボールといったムービング系の球を多投し、被本塁打が少ないのが特徴。入団当初は制球難に苦しむことも多かったが、西鉄時代のリリーフ転向後はある程度改善している。
体の強さに定評があり、投球以外の試合中の事故を除けば怪我による長期離脱は一度もない。

詳細情報

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2000 西鉄 23 21 2 2 0 9 6 0 -- .600 555 128.1 115 9 52 4 3 112 6 0 55 52 3.65 1.30
2001 29 29 7 4 1 12 11 0 -- .522 867 198.0 170 23 98 2 5 190 13 0 97 93 4.23 1.35
2002 9 8 0 0 0 1 5 0 -- .167 186 37.2 45 2 25 0 3 40 1 0 29 29 6.93 1.86
2003 36 5 0 0 0 4 5 3 -- .444 273 63.0 57 5 26 1 1 72 6 0 31 31 4.43 1.32
2004 63 0 0 0 0 5 1 23 -- .833 270 74.2 26 0 18 1 2 130 3 0 5 4 0.48 0.59
2005 50 2 0 0 0 3 4 4 19 .429 242 58.0 40 5 27 0 1 90 0 0 21 19 2.95 1.16
2006 70 0 0 0 0 3 0 39 11 1.000 279 71.0 34 2 29 0 3 124 2 0 7 7 0.89 0.89
2007 68 13 0 0 0 6 4 10 16 .600 542 130.1 98 9 50 0 3 161 4 1 36 32 2.21 1.14
2008 60 1 0 0 0 4 1 9 30 .800 243 63.1 30 3 21 1 2 107 1 0 11 9 1.28 0.81
2009 NYY 31 26 1 1 0 13 4 0 2 .765 686 160.2 127 10 72 3 5 173 5 0 53 48 2.69 1.24
2010 31 31 1 1 0 17 6 0 0 .739 828 203.0 157 24 58 5 4 237 11 1 70 68 3.01 1.06
2011 30 30 0 0 0 16 9 0 0 .640 838 205.2 163 19 51 3 7 233 7 1 65 65 2.84 1.04
2012 22 22 1 1 0 10 6 0 0 .625 600 141.0 119 15 54 5 4 150 3 0 66 61 3.89 1.23
2013 STL 28 28 0 0 0 12 9 0 0 .571 739 179.1 162 23 38 3 1 180 7 0 72 71 3.56 1.12
2014 29 29 1 1 0 10 13 0 0 .435 769 183.0 158 21 61 10 1 194 4 0 71 67 3.30 1.20
2015 TEX 14 14 0 0 0 5 4 0 0 .556 332 74.0 80 14 27 1 3 83 3 0 42 40 4.86 1.45
2016 キーエンス 27 27 2 2 0 14 5 0 0 .737 726 182.1 138 12 41 1 0 221 6 0 49 46 2.27 0.98
2017 20 20 0 0 0 10 3 0 0 .769 547 135.0 108 15 34 2 0 144 0 0 46 42 2.80 1.05
NPB:11年 455 126 11 8 1 71 45 88 76 .612 4730 1141.2 861 85 421 12 23 1391 42 1 387 364 2.87 1.12
MLB:7年 185 180 4 4 0 83 51 0 2 .619 4792 1146.2 966 126 361 30 25 1250 40 2 439 420 3.30 1.16
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

脚注

脚注

関連項目

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外部リンク

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