MENU

CLOSE

小椋聡佑

小椋 聡佑(おぐら そうすけ、1992年11月15日 - )は、長野県南佐久郡南牧村出身のプロ野球選手投手)。左投両打。京都ブレーブス所属。

大卒投手としてはNPB歴代最多となる256勝を記録し、晩年はMLBカンザスシティ・ロイヤルズでプレーした。

小椋 聡佑(おぐら そうすけ、1992年11月15日 - )は、長野県南佐久郡南牧村出身のプロ野球選手投手)。左投両打。京都ブレーブス所属。

大卒投手としてはNPB歴代最多となる256勝を記録し、晩年はMLBカンザスシティ・ロイヤルズでプレーした。

経歴

経歴

プロ入り前

小学生の頃に南佐久郡から茅野市へ移住。スイミングスクールに通っており、将来は水泳でオリンピックに出場するのが夢だったという。中学への進学と共に両親の仕事の都合で茅野市を離れ、スクールに通えなくなったことがきっかけで野球を始める。佐久シニアに所属し、主に外野手としてプレーした。

諏訪清陵高等学校に進学後、コントロールの良さを買われて監督の勧めで投手に転向。2年夏からはエースとして活躍。3年春の県大会初戦では長野日本大学高等学校相手に7回2失点の好投で勝利したものの、準決勝で上田西高等学校相手に敗れ、甲子園出場は果たせなかった。
一般入試で筑波大学社会国際学群に進学。2年次までは主に一塁手として出場し、通算75試合に出場し打率.326、6本塁打。3年春に再び投手に再転向し、同年の春季リーグ明治学院大学戦で初登板初先発を果たし6回1失点で勝利投手となる。4年春のリーグ戦では8試合に登板し4勝1敗、防御率2.76の好成績を記録。リーグ通算成績は27試合に登板し6勝5敗、防御率4.15、76奪三振。同学年にエースの澤本光寛がいたため先発登板とリリーフ登板が半々であった。

2014年のドラフト会議で、京都ブレーブスから鹿島隼人の外れ1位で指名を受ける。国立大学出身者のドラフト1位は史上2人目の珍事であり、小椋本人も「ダメ元でプロ志望届を出したら1位指名、信じられない。」とコメントしている。というのも、プロ入りに懐疑的であった小椋はスカウトからの誘いに「ドラフト上位指名なら入団する」という条件をつけ、一方で就職活動を進めて実際に野村證券三井住友から内定をもらっていたという。(詳細は後述)
同年11月15日に契約金1億円・年俸1500万円で合意し、契約を結んだ。背番号は「17」。国立大学からは8年ぶり、同時に諏訪清陵高等学校からは初のプロ野球選手となった。

京都時代

2015年は、ルーキーながら開幕を一軍で迎え、開幕4試合目となる4月2日の朝日ガーディアンズ戦(東京ドーム)でプロ初登板・初先発を果たすと7回1失点の好投を見せ、同年の新人投手の中で最初にプロ初勝利を挙げた。京都の新人投手の初先発初勝利は2009年の的場和也以来6年ぶり15人目の快挙だった。なお、この試合で大学時代の直球の最速136km/hを大幅に更新する145km/hを計測している。その後は3試合で3敗を喫するなど低調だったが、5月1日の宮城イーグルス戦でプロ初完投を完封勝利(4安打)で飾ると、6月19日ソニーレンジャーズ戦で敗戦投手となるまで6連勝を記録し、7月17日阪神ジャガーズ戦では2度目の完封(無四球)でリーグ10勝一番乗りを果たす。監督推薦でオールスターゲームに選出されると、第2試合目で2回を無失点に抑えた。その後は勝ったり負けたりが続き、最多勝をジョシュ・マクドレインに譲ったもののリーグ2位の15勝を挙げ、防御率2.60もリーグ3位の好成績だった。2015年度のセントラル・リーグ新人王に選出された。
10月9日、第1回WBSCプレミア12の日本代表最終ロースター28名に選出されたことが発表された。

2016年は自身初の開幕投手を務め、3月28日宮城イーグルス戦で無四球完封(2安打12奪三振)の快投で開幕戦勝利を飾る。7月10日のトヨタ中京ドラゴンズ戦では9回終了時までノーヒットノーランを継続しながら打線の援護がなく、最終的に10回を投げきり無安打無失点だったものの勝ち星はつかず参考記録となり、チームも12回裏にサヨナラ負けを喫した。8月15日の阪神ジャガーズ戦(京都スカイブルー球場)ではアルフレッド・バーンズからプロ初となる勝ち越しの2点本塁打を放った。シーズン通してローテーションを守りぬきリーグトップの投球イニングをマーク。防御率1.72、198奪三振で最優秀防御率最多奪三振のタイトルを獲得し、球団では市川誠治以来40年ぶり2人目となる沢村賞を受賞、ベストナインにも選ばれた。
オフの12月4日に、第4回WBC日本代表候補選手に選出されたことが発表された。

2017年は2月20日に第4回WBC日本代表選手28人が発表され、代表入りした。大会ではプエルトリコベネズエラ韓国を相手に3試合に登板し20イニング無失点で3勝を挙げる大活躍を見せ、日本の2大会ぶりの優勝に貢献し、大会MVPに選ばれた。この活躍を受けて米スカウトにも注目され将来的なメジャー移籍が噂されたが本人は「最後までブレーブスで野球がしたい。」と否定した。
シーズンでは、2年連続の開幕投手に抜擢された阪神ジャガーズ戦(京都スカイブルー球場)で史上初の開幕戦ノーヒットノーラン(1四球)を達成。交流戦では24イニング無失点3勝を挙げセ・パ交流戦MVP(日本生命MVP)に選ばれる。交流戦明けは1ヶ月間勝ち星から遠ざかり、オールスターゲームでも2回3失点と精細を欠いたが、8月には4勝を挙げ自身初の月間MVPを受賞した。最終的に防御率2.08、16勝で最優秀防御率・最多勝の二冠に輝き、チーム11年ぶりとなるAクラス、初のクライマックスシリーズ出場に貢献した。
クライマックス・シリーズ1stステージの阪神ジャガーズ戦第1戦目に登板し、1失点完投で勝利投手となるもチームは敗退。2年連続のベストナインと自身初のゴールデングラブ賞を受賞。

2018年は3年連続の開幕投手に指名され、3月27日の朝日ガーディアンズ戦で5安打完封で史上2人目の3年連続開幕戦完封勝利を達成。開幕から安定した投球を続けていたが、6月21日の阪神ジャガーズ戦の試合後に左脇腹の違和感を訴え、プロ入り後初めての登録抹消となる。復帰登板となった7月8日の東京リアノスパローズ戦では右脚に打球が直撃し、打席では左肘に死球を受けるなど不運なアクシデントが相次いだが、大事には至らず14勝をマークし、2年連続のリーグ最多勝を獲得。8月30日の阪神ジャガーズ戦では安藤慎二から2年ぶりとなる本塁打を放った。

2019年、4年連続での開幕投手となった4月2日の宮城イーグルス戦で無四球4安打完封勝利を達成し、史上初の4年連続開幕戦完封勝利という大記録を樹立した。さらに5月29日千葉マリンスタジアムで行われたロッテクラウンズ戦では両リーグ通じて25年ぶりの、交流戦では初となる完全試合を達成。15奪三振を記録した他、打球は全て内野で処理され、外野に一度も打球が飛ばなかったという極めて稀なケースだった。指名打者制での達成は史上2回目、また一度も3ボールにならなかったのも史上2回目であった。この試合について小椋は「7回が終わって球場がざわつき始めたところで(完全試合に)気づいた。」と述べている。7月16日に、第2回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出された事が発表された。トヨタ中京ドラゴンズとのクライマックス・シリーズ1stステージの初戦に登板し、8回無失点で勝利投手となる。チームは2勝0敗でFinalステージに進出し、首位阪神ジャガーズとの初戦で完封勝利を挙げるもチームは1勝4敗で敗退となった。シーズン最多勝争いには敗れたものの、両リーグトップとなる226イニング、唯一の防御率1点台に加え、自身初のシーズン20勝を達成、3年連続の最多勝となった。さらに最優秀防御率と最多奪三振も獲得しリーグで9年ぶりの三冠王に輝く。さらに完封数、勝率もリーグトップで球団初の投手五冠も達成。自身2度目の沢村賞にも選ばれた。今シーズンは226イニング中四球が14と驚異的な制球力を発揮し、日本記録となるシーズン与四球率0.56をマーク。打撃でも打率3割を超え、3本の本塁打を記録するなど投打に渡って輝かしい活躍を見せた。11月7日に完全試合達成と沢村賞の功績が認められコミッショナー特別表彰を受けた。
第2回WBSCプレミア12では予選で韓国、決勝戦でベネズエラと対戦し、計14イニング1失点の好投で2勝を挙げ日本代表を2大会連続の優勝に導いた。

2020年、球団新記録となる5年連続開幕投手を務めた東京リアノスパローズ戦で8回1失点の好投を見せ、連続開幕戦完封勝利の記録は途絶えたものの5年連続開幕戦勝利を達成。6月11日福岡キーエンスホークス戦で通算1000奪三振を達成。7月19日の阪神ジャガーズ戦では9回1死まで完全試合を継続させながら、最終的にアドルフ・マーチンにサヨナラ3ランを浴び黒星を喫している。この年も最多勝争いに加わり阪神の岩本智と僅差で競っていたが、シーズンのラスト登板となった10月9日の朝日ガーディアンズ戦で8回まで無失点に抑えながら、リリーフの石川佑樹が逆転を許し最多勝を逃した。この時小椋は落ち込む石川に対して「ピッチャーなんか抑えたらイバって、打たれたら『文句あるか』でいいんだよ。」と励ましたという。2年連続4度目の最優秀防御率のタイトルを獲得し、4度目のゴールデングラブ賞に選ばれた。一方で沢村賞は条件を全て満たしながら、21勝を挙げた朝日レッドスターズの菅原康一に譲る形となった。シーズン終了後、以前より交際を続けていたというテレビ朝日のアナウンサー・森本美香(現・小椋美香)と結婚。
12月5日第5回WBC日本代表候補選手に選出されたことが発表された。

2021年第5回WBC日本代表に選出。3月7日に東京ドームで行われた第1ラウンドA組第2戦の韓国戦に先発し、3回に林泰均に2点本塁打を浴びたものの以降は立ち直って5回2失点にまとめ勝利投手となった。3月15日ペトコ・パークで行われた第2ラウンド1組初戦のキューバ戦では6回無失点の好投を見せ、勝利投手にはなれなかったもののチームは勝利。3月22日ドジャースタジアムで行われた決勝のアメリカ戦では、5回2/3を1失点に抑えながら打線の援護がなく黒星を喫し、チームも敗戦し準優勝となる。自身は大会ベストナインに選出された。
シーズンでは、3月30日の宮城イーグルス戦との開幕戦で8回3失点の勝利投手となり、日本新記録の6年連続開幕戦勝利を達成。しかし4月はソニー戦で松山貴史からプロ入り後初の満塁ホームランを浴びるなど精彩を欠き、1勝もできず防御率も5点台と低迷。本人も「プロになってから初めてマウンドに立つのが嫌になった。」と述べるほどの不振だったが、7月以降は6連勝を挙げるなど復調。9月13日の阪神ジャガーズ戦で、自ら勝ち越しタイムリーとなる二塁打を放ち通算100勝を達成。最終的に14勝を挙げ入団から7年連続二桁勝利の球団新記録を樹立し、4年ぶりの最多勝を獲得。

2022年は、オープン戦から調子が上向かず、不安を残したまま開幕投手として3月27日の東京リアノスパローズ戦に登板するも、7回途中4失点と本来の投球ができず開幕戦初黒星を喫した。その後も打線の援護に恵まれず黒星が先行する状態が続いたが、シーズン終盤は前年同様に勝ち星を伸ばし、連続二桁勝利を8年に伸ばす14勝をマーク。195奪三振で3度目の最多奪三振をマークし、防御率2.05もリーグ2位だったが、チームは4年ぶりの最下位に低迷した。オフにFA権を取得するも行使せず残留を表明し、「京都のユニフォームを脱ぐのは引退する時。」とコメントを残した

2023年には京都ブレーブスの選手会長に就任。4月1日、9年連続となる開幕投手として対朝日レッドスターズ戦に登板し、1失点完投勝利を挙げる。4月19日の東京リアノスパローズ戦から8月27日の宮城イーグルス戦まで14連勝を記録し、1962年の松原文夫による球団記録を61年ぶりに塗り替えた。ちなみに、前後の敗戦はいずれも阪急のロベルト・カーターに決勝ホームランを浴びての敗戦だった。入団から9年連続選出となったオールスターゲームで第1戦に先発登板し3回無安打無失点7奪三振の快投を見せ自身初のオールスターMVPに輝く。9月23日のソニーレンジャーズ戦に登板し、チーム36年ぶりの優勝を自身2度目のノーヒットノーランで飾る。最終的に18勝、防御率1.94、211奪三振で史上初となる二度目の投手五冠に輝き、自身2度目のMVPと3度目の沢村賞にも選ばれるなどタイトル総ナメのシーズンとなった。朝日ガーディアンズとのクライマックス・シリーズFinalステージ第1戦に登板し完封勝利を挙げ、チーム31年ぶりの日本シリーズ進出に貢献した[48]。福岡キーエンスホークスとの日本シリーズでは第1戦で1失点完投(自責0)で勝利投手となる。第6戦にも登板し8回無失点の快投で勝利し、50年ぶりの日本一が決定、日本シリーズMVPを受賞した。
第3回WBSCプレミア12に選出され、予選の対アメリカ戦に登板し7回1失点でチームの勝利に貢献したものの、翌日に左肩の炎症が判明し次回以降の登板は回避となった

2024年は、シーズン前のキャンプ中に左肘に違和感を訴え離脱。プロ入り後初めて開幕を二軍で迎え、開幕投手の連続記録も途絶えた。復帰後もしばらくは調子が上がらず、前半戦終了時点で4勝6敗で防御率も4点台と成績不振だった。しかし後半戦はハイペースで勝ち星を重ねリーグ3位の11勝をマーク、史上3人目の入団から10年連続二桁勝利を達成した。一方で防御率はデビュー以来ワーストの4.08を記録し、チームも再びBクラスに沈むなど満足のいくシーズンとはならなかった。

2025年は、2年ぶりの開幕投手として3月28日の東京リアノスパローズ戦に登板するも味方のエラーも絡み8回途中3失点(自責1)で自身初の開幕戦黒星を喫した。5月30日西鉄ライオンズ戦で勝利投手となり通算150勝を達成。シーズン通して好投を続けながら打線の援護率がリーグワースト2位の2.65と勝ち星に恵まれない試合が多く、最終的に12勝を挙げ入団からの連続二桁勝利を11年に伸ばしたものの、自身初の二桁敗戦も同時に喫してしまった。阪急とのクライマックス・シリーズ1stステージでは第2戦に登板し、7回無失点で勝利投手となるも、宮城イーグルスとのFinalステージでは8回途中3失点でポストシーズン初黒星を喫すると共に、チームも敗退となってしまった。

2026年は10度目となる開幕投手を務め、3月30日の朝日レッドスターズ戦で8回1失点の好投で3年ぶりに開幕戦白星を飾った。春先は順調な滑り出しを見せ4月の月間MVP候補にも上がったが、5月以降は徐々に打ち込まれる試合が増え、6月20日の宮城イーグルス戦では序盤に5点の援護を貰いながら山田寿久高橋裕紀クリストファー・ギッセルに三者連続本塁打を浴びるなど大乱調で敗戦投手となった。9月21日の東京リアノスパローズ戦で6回途中で左肩の違和感を訴え降板、左肩関節唇損傷と診断された。イニング数ではチームトップの数字を残したものの8勝11敗とプロ入り後初めて黒星が白星を上回り、防御率もリーグワースト5位と精彩を欠いた。

2027年は前年の肩の故障の影響で開幕を二軍で迎えた。5月3日に一軍復帰し当日の阪神ジャガーズ戦に登板し7回途中1失点でシーズン初勝利を挙げる。交流戦では2勝0敗と結果を残したものの、リーグ戦では3勝6敗と黒星が先行した。8月28日の阪神ジャガーズ戦で6回5失点(自責4)で6敗目を喫した。その後も好投を見せながら白星に恵まれず、9月中旬に再び登録抹消とな、プロ入り後初めて規定投球イニングを達成できずシーズンを終えた。

2028年は開幕からローテーション入りを果たし、5月に4勝を挙げ5年ぶりに月間MVPを受賞するなど順調な滑り出しとなる。6月から7月にかけて打ち込まれる試合が目立ち、約一ヶ月半白星から遠ざかるなど苦しい時期が続いたが、8月5日の朝日レッドスターズ戦で2年ぶりの完封勝利を挙げると以降は復調し、最終的に12勝で3年ぶりの二桁勝利を達成した。また、5年ぶりにリーグ最多イニングを記録し、完全復活のシーズンとなった。

2029年はシーズンを通して一度もローテーションを外れることなく安定したピッチングを続け、前半戦は防御率トップで終えるなど好調のシーズンとなった。チームトップの11勝を挙げ2年連続13度目の二桁勝利を達成、松本敬三の持つ球団記録を更新した

選手としての特徴

選手としての特徴

スリークォーターから投げる平均146km/h、最速156km/hのノビのあるストレート・ツーシームと球速差のある二種類のスライダー、フォーク、シンカーを主体に、さらにカットボール、ナックルカーブ、チェンジアップ、シュート他多彩な変化球を持ち、一試合で10種類以上投げることもある。その日の調子によって意図的に三振を奪ったり打たせて取ったりする器用さも持つ。
プロ入り後に速球、球種ともに大幅に向上させており、高校時代のストレートの最速は120km/h前後、大学時代の最速は136km/hだったが、プロ入り直後から徹底的な体幹トレーニングを行ったことで1年目から140km/h台中盤を計測。翌年2018年は150km/hの大台に乗せており、最終的には上記の通り156km/hを計測している。変化球も大学卒業まではカーブとスライダーのみであり、他の球種は全てプロ入り後に習得している。

ペース配分がうまく、序盤の立ち上がりに優れている。無駄な四球を強く嫌い、通算与四球率は3000イニング以上投げた投手で最も低い0.87を誇る。奪三振数に対する四球数の割合(K/BB)でもNPB在籍シーズン全てで12球団トップの数値を残し続け、2019年の20.42、通算9.24はいずれも歴代1位である。無四球完投は歴代3位の70回を記録しており、これは投手の分業制が確立された平成以降に限定すると、2位の沢原博敏の21回を大きく引き離すダントツの数字である。コントロールミスが極めて少なく、暴投は通算で253イニングに1回の割合と歴代最小の数値となっており、2016年から2022年にかけて約6年間、1228イニング連続暴投無しの日本記録も保持している。更に投球テンポを重要視しており、2019年の計測で一球当たりの投球間隔が平均8.6秒と両リーグ最短を記録した。また、牽制やフィールディングの能力にも優れ、極めて総合力の高い投手である。

プロ入り一年目から一貫して先発投手を務めており、日米通算603試合で一度も救援登板(リリーフ)を経験していない。この603という数字は連続先発登板数としても、救援経験のない投手の通算登板数としても歴代最多記録である。なお、例外として日本シリーズとWBCでそれぞれ1度ずつ救援登板を果たしている。

詳細情報

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2015 京都 27 27 6 4 3 15 6 0 0 .714 769 190.1 166 15 28 1 4 178 3 0 57 55 2.60 1.02
2016 29 29 8 4 5 14 5 0 0 .737 804 209.1 150 14 25 0 1 198 5 0 48 40 1.72 0.84
2017 28 28 11 3 8 16 3 0 0 .842 812 208.0 169 9 19 0 0 213 4 0 50 48 2.08 0.90
2018 25 25 5 2 3 15 5 0 0 .750 700 178.1 145 12 19 3 1 187 3 0 45 41 2.07 0.92
2019 30 30 12 10 8 20 3 0 0 .870 893 238.0 167 8 12 0 0 256 5 0 37 34 1.29 0.75
2020 31 31 15 12 13 20 4 0 0 .833 963 256.0 182 14 12 0 1 280 3 0 46 43 1.51 0.76
2021 28 28 8 3 5 14 6 0 0 .700 806 200.2 190 11 13 0 1 189 2 0 56 51 2.29 1.01
2022 29 29 7 4 4 16 5 0 0 .762 814 207.1 178 14 14 0 0 228 1 0 53 45 1.95 0.93
2023 29 29 11 5 6 19 3 0 0 .864 821 215.0 160 12 16 1 0 226 1 0 46 42 1.76 0.82
2024 24 24 4 2 2 11 7 0 0 .611 684 169.1 163 16 12 2 1 163 3 0 61 58 3.08 1.03
2025 26 26 5 3 2 12 10 0 0 .545 732 182.0 162 9 23 0 1 178 4 0 60 50 2.47 1.02
2026 27 27 3 2 2 8 11 0 0 .421 734 179.2 178 18 16 1 1 156 1 0 80 67 3.36 1.08
2027 15 15 1 0 0 7 4 0 0 .636 423 104.2 100 8 9 0 0 85 0 0 31 28 2.41 1.04
2028 29 29 5 1 2 13 8 0 0 .619 805 198.2 185 19 23 0 1 178 2 0 66 61 2.76 1.05
2029 26 26 3 3 2 10 3 0 0 .769 678 170.2 150 12 13 0 3 156 2 0 42 36 1.90 0.96
2030 23 23 2 1 1 7 6 0 0 .538 573 138.2 140 16 16 1 1 116 3 0 55 63 4.09 1.13
2031 26 26 1 0 1 6 15 0 0 .286 653 153.2 167 18 23 0 2 125 1 0 83 82 4.80 1.24
2032 27 27 3 2 2 14 7 0 0 .667 753 187.2 167 12 21 1 2 168 3 0 50 46 2.21 1.00
2033 26 26 2 1 0 11 6 0 0 .647 683 167.1 162 18 18 0 1 126 4 0 62 58 3.12 1.08
2034 23 23 1 0 1 10 7 0 0 .588 554 135.0 131 12 16 2 2 98 0 0 46 44 2.93 1.09
2035 KC 28 28 1 1 1 20 6 0 0 .700 862 217.2 190 26 19 0 0 205 2 0 65 60 2.48 0.96
2036 27 27 0 0 0 13 9 0 0 .591 702 172.0 170 22 15 1 1 130 0 0 67 56 2.93 1.08
2037 21 21 0 0 0 9 8 0 0 .467 551 132.0 140 18 14 1 1 79 1 0 56 54 3.68 1.17
NPB:20年 527 527 113 62 70 258 124 0 0 .675 14654 3690.1 3212 267 348 12 23 3504 50 0 1074 992 2.42 0.96
MLB:3年 76 76 1 1 1 42 23 0 0 .646 2115 521.2 500 66 48 2 2 414 3 0 188 170 2.93 1.05
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字は歴代最高

記録

脚注

脚注

関連項目

関連項目

外部リンク

外部リンク